たまにはためにならない映画の話をしよう

つらつらと映画についてのあれこれを

映画鑑賞文 ファンタスティックビーストと魔法使いの旅

文中にネタバレが含まれています。

魔法動物の研究家である
ニュート・スキャマンダーの
トランクの中には沢山の魔法動物がいる。
ある日トランクの鍵が壊れてしまい
魔法動物がニューヨークの街に
逃げ出してしまったからさぁ大変!
人間に見つかる前に彼らを
見つけなければ!!

という話かと思いきや
意外にそうでもない。
この映画は面白くないわけでは
ないが確かにいくつかの人が言うように
もっと有機的に話を繋げる事で
登場人物達に起こる出来事や
かつてあった出来事が設定に
ならずにすむ方法があったん
じゃないのかなとは思う。

家族の中から弾き出され
魔法界からも弾き出される
クリーデンスというキャラが
今回の所謂ボスキャラなわけですが…
クリーデンスは
魔法使いを弾劾しようと呼びかけている
セーレム救世軍という組織を運営している
普通の人たちから見れば
ちょっと頭がファニーな養母に
酷い虐待をされていて、それに気づいた
アメリカ魔法議会(MACUSA)のティナが
クリーデンスを助けようとして
闇祓いの仕事を辞めさせられている
という経緯があるのてすが…
なぜが最初に暴走したクリーデンスを
止めようと語りかけるのはニュート
なんですよね。
これは絶対にティナ主体にしたほうが
良いと思った。
だってクリーデンスとニュートは
ほぼ知らない同士だし
急に語りかけられても的な
いやまぁ申し訳程度にオブスキュラス
を生み出した少女を救えなかったという
のは出てくるんだけどそれも
設定レベルであって物語の構造に
なんら寄与してないんですよ。
僕的にはただの設定に感じてしまって。
あと、ハリウッドは不定形のボス好きだなぁ
って思いましたね。
何度目やねん!!!って感じ。

やはりティナとクリーデンスの関係に
注力してそこのあくまでバックアップと
してニュートが機能するみたいな。

ニュート自身はオブスキュラスの
生み出す闇の魔法動物的なものを
トランクの中の魔法動物で退治しながら
クリーデンスを説得するティナみたいな
感じでやればもっといいのに…とは思う。
そこにニュートが来て
先の少女を救えなかった話を
使えばねもっとこうさ…

ただ!ここまで言ったけども!
この映画の魔法の描写や
魔法動物の描写は素晴らしい!
各々に習性があってそれを見極め
知り尽くしているニュートというのも
かっこいいし!
ドラえもん的トランクも
めっちゃ素晴らしいと思う!
何よりニュート自身はある程度
出来上がった状態で始まる話なので…
最後にわずかに変わるのかな
というところで終わるんですよね。
ニュートはどちらかというと
狂言回し的に機能してるという
感じなんですよ。
ニュートの人を信用してない人間
独特の説明不足さとか
深いコミュニケーションに入らないように
する感じの演技は流石にうまいと
思った。この本物感はすごい。
 
この映画はニュートというより
ジェイコブを主人公として
捉えた方が面白い。
ジェイコブのキャラの方が
遥かに感情移入しやすいしね。
(感情移入できる物語が良いとは
限らないが…為念)
ジェイコブに纏わる場面は
かなり素晴らしい物がいっぱい
あるしなぁ。魔法に対して戸惑うとか拒絶
するといった反応じゃなくて
あくまで羨望や憧れの目線で終始
向き合い我々の目線で我々の思うことを
口にしてくれるこのキャラはとてもいい。
映画の終盤の忘却の雨のシーンは
この映画でも最も素晴らしいシーンの
一つだと思う。
観客として存在していたジェイコブが
「もともとは俺はここにいなかった
 はずなんだから」っていうのは
映画の外にいる我々の事である。

ただこの期に及んで
少し言いたいことがある。
この映画の忘却の雨以降の
展開である。
キャラ達の本編の後が描かれるわけだけど。
俺的には長く感じてしまった。
君の名は。でも思ったのだけど
エピローグは匂わせる程度だからこそ
情感がたっぷりでるものだと思っている。
このエピローグはとてつもない
ハッピーエンドだが情感はない。
詩的な要素はない。

クイニーらしき姿の女性が
ジェイコブのパン屋に入っていく。
そして暗転。これくらいシンプルでいいのに。
ジェイコブの笑顔やクイニーの表情は
スクリーンに映されるものではなく。
我々、それぞれが想像すべきものだと
俺は思う。


最後にこの映画にはジョニー・デップ
でているということは鑑賞前に
知っていたんだけど。
登場の仕方が素晴らしい。
これもまたこの映画のベストシーンだと思う。
俳優の繋がり的には
dr.パルナサスの鏡じゃんとか
思ったりしたけど。それはまぁいい。
立ち現れたときのえぇー感はすごい。

映画全体としてはうぅむと思うところも
あるけどもバラバラにわけたときに
素晴らしい瞬間もたくさんある
そんな不思議な映画でした。
物語の運びに違和感はあっても
キャラや魔法生物の描写は
終始胸躍るしね。
あまり魔法使い役顔じゃない
コリンファレルが地味によかったり
とかね。

それでは。

だから、たまにはためにならない映画の話をしよう

映画っていうのは特段難しいものではない。
誰しも娯楽作や話題作を見るだけで
その映画が面白いか面白くないかを
判断することができる。
ただ、時に映画は面白いか面白くないかで
割り切れない部分がある。
映画の物語だけでなくその映画の内を
観ることによって、ただ物語を追っていた時と
別の快感がそこにはある。
しかしそれを大抵の人は知らない
大抵の人にとって映画というのは
ただ見ていれば二時間潰れる暇つぶしにすぎない。

そんな人たちには是非、その先に一歩
進んでみてほしい。
そこでは映画は暇つぶし以上の価値を
持っているのです。
映画というのは複数回観る必要がある。
なんとなればほとんどの作品は
そういう風に作られているのだ。

かつて押井守監督の映画「talking head」で
登場人物がこういう台詞を言っていた。
「常に二度みる必要があるんだ…
 (中略)
 二度みる必要があるんだ
 二度みる必要があるんだ 
 二度みる必要があるんだ
 何度でもみる必要があるんだ。」

映画は無意識に撮られるわけではない
常に意識的に撮られる必要がある。
ゆえに、全てのカット全てのシーンに
意味があるといっても過言ではない。
全ての映像にそれを撮った者の意志が
介在しているのだ。
そうであるなら映画は一回観ただけでは
間違いなくそのストーリー話の筋を
追っただけなのである。
これが、果たして映画を観たと言えるのか。
それはただ見たというだけである。
観察しそれらの全てを観るためには
どうしたらいいのだろうか。
だから複数回観る必要があるのです。

観る事を繰り返すそれによって
最初観たときには見えてこなかった
関係や存在が見えてくる事がある。
この人物は何を暗示してるのかとか
現実の誰の事なんだろうとか。

ただ、此処まで言ってなんなのですが
映画に予め決められた答えはないんです。
たとえば監督がそれを否定したとしても
肯定したとしても最終的に観たあなたが
どう感じたのかが答えになるんです。
だから面白いんです。

なのでたまにはためにならない映画でも
しませんか?