たまにはためにならない映画の話をしよう

つらつらと映画についてのあれこれを

だから、たまにはためにならない映画の話をしよう

映画っていうのは特段難しいものではない。
誰しも娯楽作や話題作を見るだけで
その映画が面白いか面白くないかを
判断することができる。
ただ、時に映画は面白いか面白くないかで
割り切れない部分がある。
映画の物語だけでなくその映画の内を
観ることによって、ただ物語を追っていた時と
別の快感がそこにはある。
しかしそれを大抵の人は知らない
大抵の人にとって映画というのは
ただ見ていれば二時間潰れる暇つぶしにすぎない。

そんな人たちには是非、その先に一歩
進んでみてほしい。
そこでは映画は暇つぶし以上の価値を
持っているのです。
映画というのは複数回観る必要がある。
なんとなればほとんどの作品は
そういう風に作られているのだ。

かつて押井守監督の映画「talking head」で
登場人物がこういう台詞を言っていた。
「常に二度みる必要があるんだ…
 (中略)
 二度みる必要があるんだ
 二度みる必要があるんだ 
 二度みる必要があるんだ
 何度でもみる必要があるんだ。」

映画は無意識に撮られるわけではない
常に意識的に撮られる必要がある。
ゆえに、全てのカット全てのシーンに
意味があるといっても過言ではない。
全ての映像にそれを撮った者の意志が
介在しているのだ。
そうであるなら映画は一回観ただけでは
間違いなくそのストーリー話の筋を
追っただけなのである。
これが、果たして映画を観たと言えるのか。
それはただ見たというだけである。
観察しそれらの全てを観るためには
どうしたらいいのだろうか。
だから複数回観る必要があるのです。

観る事を繰り返すそれによって
最初観たときには見えてこなかった
関係や存在が見えてくる事がある。
この人物は何を暗示してるのかとか
現実の誰の事なんだろうとか。

ただ、此処まで言ってなんなのですが
映画に予め決められた答えはないんです。
たとえば監督がそれを否定したとしても
肯定したとしても最終的に観たあなたが
どう感じたのかが答えになるんです。
だから面白いんです。

なのでたまにはためにならない映画でも
しませんか?